Whaiの話
第二次大戦で太平洋を飛び回ったニュージーランドの戦闘機乗りは戦争が終わるとダイビングのチャーターボートを計画する、
Into The Rising Sun
ISBN 0 340 16605 3
オークランド(NZL)の古本屋で20ドルで購入。残念ながら絶版のようです。
1965年セーリングヨットのクルーとしてクルージングしていた著者(Peter Spurdle)は無風で狭いヨットのなかで足止めされヘキヘキしているときに変なヨットに出会う。
鋼鉄製のトリマランはオーナーが自作したとのこと。
オーナー「一時大変に重い病気で死にそうになる。直るためにはなんでもすると神に祈った。」 「不思議に快復して職場に復帰したころ神の使いの妖精が現れ、約束は覚えているかと聞いた」 妖精は約束を守って「ヨットで旅に出ろ」と命令した。
そのトリマランのオーナーは入院で全財産を使い果たしていたので途方にくれたが、直径1.2mの鉄パイプもらってきて両端をつぶして尖らせ船にした。同様にその他の部品を鉄で作りトリマランにして旅に出た。
ヨットでのクルージングに嫌気がさしてきたころこの話を思い出したPeterはさっそくドリームボート、44フィートのスチールカタマランの建造に取り掛かる、、、
直径60センチの丸パイプに仕切りを入れ燃料タンクと清水タンクとし、キールができた。
2本のキールを4m間隔で並べ、後はその上に船体を溶接して組み立てていく。
図面は無い!、船体が姿を見せてきたころある人から検査を受けているかと聞かれる。
図面の無い、経験ゼロの造船家と検査官の会話は面白すぎて、ここでは省略、、、
結局、PeterはWhaiの耐航性を証明するために友達とニュージーランドと日本を往復するクルージングに出る。 もちろん、クルージングの目的のひとつはダイビングを楽しむことであった。
官庁は検査を嫌がり「ヨットクラブの中で行うクラブの検査でもよい」との抜け道を薦められる。
1970年3月ニュージーランド出発、7月に日本到着、12月にニュージーランドに帰着。
以来、耐航性が証明されたWhaiでPeterはダイビングチャーターボートをやっていた。
(1972年出版時)